2025.08.11

糸島ライフ

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北崎地区に、こんなに凄い観音様が!光明寺小田観音御開帳②

前回は小田観音への参拝の様子とご利益について紹介しました。
今回は光明寺と小田観音の歴史、そしてご住職様のこれからの取り組みをご紹介します。

光明寺の歴史とこれから

普段は木枠から拝観することができます
寺院に関心のある方はより気になるであろう、その歴史。そもそものはじまりは、およそ1300年前、奈良時代にさかのぼります。奈良の大仏造立を発願したことで有名な聖武天皇の命で創建されました。国の安泰と皇室の繁栄を祈願するためであり、当時は様々な伽藍が立ち並ぶ大きな寺院だったようです。

またこの頃は、遣唐使によって中国との外交ルートがひらかれていましたが、それ以外にも国の管理のもとでの交易も盛んでした。その玄関口が博多、太宰府だったので、博多湾は外国船も行き来する海の道だったようです。光明寺は、その博多湾を東に望む光明寺山に位置しており、対外航路を監視する役割も担っていたといいます。

小田観音はそんな光明寺のご本尊として、清賀上人の手によって制作されました。雷山観音(鎌倉時代後期作)、油山観音(南北朝時代作)と合わせて福岡三観音とされていますが、現存するなかで最も古い仏像が、この小田観音です。今もなお、金色に輝くその姿は往時を忍ばせ、その時その時の人々によって大切に受け継がれてきたのを感じさせます。

さて、その光明寺。元々は「萬歳山光明寺」が正式名称でした。両手を高く上げる万歳の所作に、「あらゆる人々の願い事が叶います様に」という思いを込めたところからきているといいます。しかし、歴史の流れのなかで一度は廃寺へ。それでも江戸時代には小田観音の修理が行われたことが、その修理銘から明らかになっています。そして、そこにあった文字から、この頃には、福寿禅寺が管理していたと考えられています。
明治時代になると、小田観音を文化財指定しようとの動きがありましたが、この頃には、明確な管理者が不在だったため見送られました。その後、ご縁があり、再び福寿禅寺が小田観音の管理を任されています。

このような古い歴史がある光明寺ですが、50年ほど前までは、毎月17日に行われる観音講に地域の多くの方が参加されていたそうです。しかし高齢化や時代の流れとともに、当時の活気は徐々に失われていきました。ご住職様が関東で数年過ごされた後、北崎地区に戻って来られた際に、想像以上に地域が過疎化していたことに驚かれ、昔の活気ある北崎地区へ戻そうと尽力。その甲斐あって、ご住職様の様々な取り組みや考えに賛同した若者が、2021年から再開した観音講に40~50名程参加されています。また、2023年には小田観音を含めた5軀の仏像(持国天立像と多聞天立像は九州歴史資料館保管)が福岡県の指定文化財となりました。

葬祭や布教の場であるだけでなく、元来、地域住民が集う場であり、地域文化の拠点としての役割を担っていた福寿禅寺での交流が戻りつつあります。
そんなご住職様の今後の目標は…2028年7月17日に1300年を迎える光明寺の観音講を盛大に行いたいというものでした。今後のご住職様の取り組みからも目が離せません。

由緒ただしく、とても貴重な小田観音様と、それを守り受け継がれている福寿禅寺のご住職様。そんな魅力いっぱいの北崎地区に、皆様も是非足を運ばれてはいかがでしょうか。(M.M)
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光明寺 所在地:〒819-0203 福岡県福岡市西区小田2973
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